ドイツサッカー並びに世界サッカー界のレジェンドである、フランツ・ベッケンバウアーさんが2024年1月7日に78歳で死去しました。
「リベロシステム」と呼ばれる攻撃的ディフェンダーシステムを確立し、近代サッカーの攻撃的MFに繋がる重要な戦術への扉を開いたベッケンバウアーさん。
その死因、”皇帝”と呼ばれた由来、背番号やポジション、残した名言や意味を振り返り、偉大なるレジェンドを心に焼きつけたいと思います。
ベッケンバウアー死因は?
世界的にも高齢者の平均寿命が伸びてきた昨今。
78歳という早過ぎるを迎えたベッケンバウアーさんの死因は何だったのでしょうか。
訃報を告げるいくつもの記事には、その死因は記されていませんでした。
その中のひとつに「晩年は体調不良に苦しんでいた」と書かれています。
別の記事には「家族に看取られた」と書かれていました。
この二つから推測して、癌や何らかの難病を患い、”自宅で死を迎えることを望んでいた”と見ることもできますね。
まずは、偉大なるレジェンドのご冥福を心から祈りたいと思います。
ベッケンバウアーの異名「皇帝」の由来は?
フランツ・ベッケンバウアーさんには、「皇帝」という異名がありました。
軸が全くブレない姿勢で、落ち着き払って相手を抜き去る”エレガント”で”威風堂々”の攻撃的ドリブル。
この姿は、まさに「皇帝」ですが、どうやらそれが由来ではないようです。
そういったプレースタイルを背景にしつつも、かつて親善試合で訪れたオーストリアに由来がありました。
この試合で、カメラマンの要望により「同じ名前である神聖ローマ皇帝フランツ二世の銅像」と写真に収まったことで「皇帝」と呼ばれるようになったと言われています。
「皇帝」の由来に他説あり
所属チームであるバイエルンの試合中に相手チームのエースにファウルを犯したベッケンバウアーさん。
大ブーイングを受けたにも関わらず、そのファウルで中断中に悠然とリフティングをしていた姿に「バイエルンの皇帝」という名がついたとも言われています。
ベッケンバウアーの背番号とポジション
ベッケンバウアーさんは、バイエルンでは主に5番の背番号をつけ、リベロと呼ばれるポジションに位置していました。
このポジションは、最後方のDFが3人となる布陣で、ベッケンバウアーさんがその中央に位置します。
通常時は3バックで守備に当たりますが、攻撃にシフトした瞬間に2バックに変形し、中央にいたリベロであるベッケンバウアーさんが攻撃に参加。
ときには、最前線まで侵攻し、得点を量産することもありました。
その荘厳な姿は、まさに「皇帝」そのもの、と言ってもいいでしょう。
ベッケンバウアーの残した名言&意味
ベッケンバウアーさんが残した名言の中で最も有名なもの。
それは、「強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ」という言葉でした。
これは、ヨハン・クライフさん率いる優勝候補であるオランダとのワールドカップ決勝戦を制した際に発したものです。
前評判を覆し死闘を制した「皇帝」だからこそ言い放つことができたこの名言。
前評判に屈することなく諦めずに戦術を練り、手を尽くすこと、つまり「諦めない者こそが勝者たりえる」という意味が隠されているのではないでしょうか。
ベッケンバウアー死因についてまとめ
簡単ではありますが、世界サッカーのレジェンド、ベッケンバウアーさんの死因や皇帝と呼ばれた由来、背番号やポジション、残した名言や意味を振り返ってみました。
・ベッケンバウアーさんの死因は不明だが、癌などの難病の末、自宅死を選択した可能性がある
・同じ名前の皇帝の銅像と写真をとったことで「皇帝」と呼ばれた。
・ファウルをしても悠然とリフティングをする姿に「バイエルンの皇帝」という名がついたという説もある。
・ベッケンバウアーさんの名言は「強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ」。
・その意味は、「諦めないものこそが勝者たりえる」と言える。
改めて「皇帝」の偉大さをかみしめた方も、「こんな選手がいたのか、プレー映像を見てみたい」と感じた方も、当時を色鮮やかに思い出した方もいらっしゃると思います。
ともに、偉大なるレジェンド、フランツ・ベッケンバウアーさんのご冥福を祈りましょう。